2012年を振り返る(習い事編)

保育所から小学校に上がったのと時を同じくして習い事も大幅に変わった。この習い事の調整が昨年の年明けから3月ごろにかけての我が家での大きな悩みごとのひとつだった。
保育所時代は基本的には土曜日にヤマハ、日曜日にコナミで水泳と体操、というリズムだったのだが、このうち日曜日のコナミは車で15分くらいのところまでわざわざ通っていた。これは保育所時代は平日に習い事に通わせることはほとんど不可能であり、土日に体操ができるところが近場になかったから、というのが理由なのだが、さすがに小学校に上がったら平日の放課後でも通わせられるだろう、ということでまず水泳についてはは近場のセントラルに行かせることにした。
ところが残念ながら小学校からいちばん近いセントラルには体操教室がない。別のセントラルには体操教室があるにはあったのだが、いろいろ検討した結果、3月までに壁付き逆立ち・跳び箱4段・逆上がりまではなんとかクリアしたので(いま現在できるかどうかは怪しいところなのだが)、とりあえず入学までにここまでできていれば小学校の体育でもそれほど苦労はしないだろう、どっちみち体操選手にするわけではないんだから、ということで体操は3月で一区切りにすることに。
体操を辞めるにしても水泳以外に何か運動をさせたほうが....と考えていたところに、タイミングよく保育所で仲のいいお友達から誘われたので空手教室の体験に行かせてみた。私は行けずに妻に任せてしまったので実際見てはいないのだが、それなりに楽しんでいた様子。小学校の体育館でやっているので通わせるのも安心だし、値段も比較的安いのでできればやらせてみたい。プーに「空手楽しかった?やってみる?」と誘ってみると、「楽しかった。○○君がやるならぼくもやる」と、見事に主体性のなさを見せる。結局そのお友達も体験だけで終わってしまったため、プーも空手教室は結局入らずじまいに。まぁ4月からは念願のサッカーも始めるから、体操の替わりにサッカーと思えばそれでいいか。
ということで4月からは土曜日ヤマハ・日曜日サッカー・平日1日水泳という体制が固まった....かに思えた。しかしそこに新たに入ってきたのが「アルゴクラブ」。これは算数パズルの教室のようなもので、年長児から小学校低学年あたりを対象に展開されているものだ。きっかけは進学塾のYから来たダイレクトメールで、さすがに小1からいきなり塾に通わせる気にはならないが、パズル教室ならなんとなく面白そうだ、ということで体験授業に行ってみた。するとプーもたいそう気に入ったようで「行きたい」と珍しく積極的。しかし話を聞いてみると小1対象のクラスは平日にしかなく、その塾は電車に乗って行かなければいけない。しかもスタートは小学校入学前の2月。いくらなんでも現時点でひとりで電車通塾などできるわけもなく、かといって平日に毎週付き添って通わせるのは共働き家庭には無理、ということで泣く泣く受講を断念した。
しかしプーの食いつきぶりを見るとこのまま諦めるのも可哀想、ということで調べてみると、我が家から徒歩圏内のW塾で土曜日にアルゴクラブを開講していることが判明した。しかし運の悪いことに今度はヤマハの時間帯と30分ほど重なってしまっている。ヤマハは秋から新しいコースに進んだばかりなので辞めさせたくない。どうするか....と悩みつつもとりあえず今度はWのアルゴクラブ体験会に参加。やはりプーはアルゴに行きたいようだ。いろいろと悩んだ結果、そもそも音楽の道を進ませるつもりもないこと、そしてプーがヤマハの家庭練習にいまひとつ乗り気ではなくなってきていたこと(レッスンそのものには楽しく通っていたのだが)も考慮すると、3月の発表会を区切りとしてヤマハは辞める、という断腸の結論に至った。とはいえ既に発表会のアンサンブルのパート分けも済んでおり、いまさら出ないというのも迷惑をかけてしまうので、3月の発表会まではヤマハを再優先にすることとし、ヤマハのレッスンが終了してからその足でアルゴクラブの授業に遅れて参加というダブルヘッダーを2カ月続け、3月末の発表会に臨む。プーが通っていたのは男2・女6の8人のクラスだったがもう一人の男の子が都合により不参加だったので、女の子6人に混ざって男の子一人という編成で出場。保育所の卒園式と同じ衣装でビシッと決め、(上手いか下手かはともかく)堂々たる姿勢でアンサンブルを成功させていたので辞めさせるのが本当に残念だったが、小学生・中学生の発表を見ていると「これだけ弾けるようになるには相当練習しないといかんのだろうな〜」という印象もあったので、今のプーの生活リズムを考えると、これに加えてヤマハの家庭練習をさせるのはかなり厳しかったかな、という気もしている。
そんなこんなで4月からはサッカー・アルゴ・水泳の3本の習い事を続けている。サッカーについてはプーの中でかなり大きなウェイトを占めているので別記事で書くとして、アルゴクラブはなかなかMVPが取れず苦労したものの、10月についに念願のMVPを獲得。11月にも2度目のMVPを獲得し、さらに東京まで受けに行ったアルゴ検定で6級を獲得。頑張っているようだ。水泳はコナミ時代に比べると小人数でみっちりとやっているようで、友達も大勢できたようだ。進級試験は2カ月に一度だが、先日背泳ぎをクリアして現在はクロールに挑戦している(順番が逆のような気もするのだが....)。
今のところこの3つの習い事は2年生になっても続ける予定。昔は「土日も習い事なんて可哀想」などという感覚があったと思うが、最近の子供は習い事もずいぶん楽しくやっているので何よりだ。唯一困るのは金がかかることだが....。

2012年を振り返る(保育所・学校編)

すでに2013年に入っておりいささか今更感もあるのだが、2012年はプーにとっても激動の年だった。去年の今頃は親の送迎で保育所に通っていたのが、今はひとりで小学校に行って帰ってくるようになった。そんなプーの激動の一年をいくつかの項目に分けて振り返ってみることにする。長文になるが、どうせもう誰も読んでいないだろうからいいだろう(笑)。
ということでまずは平日のほとんどを占める保育所と学校。前述のとおり3月には保育所を卒園。卒園式は涙涙のいい式だった。式の終了後は仲良しのお友達何人かと記念撮影。最近プーは昔を振り返って「保育所は毎日嫌なことばかりだった」などと述懐することがあるが、私の記憶ではプーは毎日園庭を走り回って楽しそうにしていたように思える。ただ、確かにたまにお友達とトラブルになることもあり、その嫌な記憶だけが残ってしまったのだろう。あと3月頃は「保育所行きたくない」と言って朝ゴネることも確かにあった。保育所そのものが嫌だったのか、保育所も嫌じゃないけどそれよりも家のほうが楽しいと思ったのか、小学校に入ったらそのようなゴネが通じないから今のうちと思っていたのか、そのへんの真相は不明。
そんなわけで桜咲く4月に入学式。新1年生は全部で7クラスと大所帯で、概ね男の子が90人くらい、女の子が120人くらい。なんでそんなに偏るのかよくわからないが....。基本的にプーは楽しく学校に通っている。ただ、たまに同じクラスの子とトラブルになって担任から電話をいただいたり、通学途中に友達の防犯ブザーを壊してしまったり、そんな心落ち着かない出来事もあるにはあった(最近は落ち着いている)。夏の個人面談と家庭訪問は妻が対応したので直接は聞いていないのだが、「学習面では一切心配はない」「クラスのリーダー的存在として期待している」との評だったとのこと。まぁいささかリップサービスもあると思われるが、プーはクラスの中でも誕生日がいちばん早いので、それだけ大人びたところもあるのだろう。
通知表については5段階評価ではなく、各教科にいくつかの項目があり、それぞれに「◎」「○」「△」のいずれかがつくという形なので、成績がいいのか悪いのかは不明。とりあえず1年生の前期は「△」はひとつもなかったので、まぁ十分だろう。
学校関係でプーをいちばん褒めてやりたいのは、4月から12月まで無遅刻無欠席できちんと学校に通ったこと。そういえば今年は病気らしい病気もせずに一年過ごした。そしてほとんど毎回、給食を残さず食べたこと。唯一の苦手はチョコレートだそうで、初めて給食を残したのはチョコ味のデザートが出た日だった。
運動会ではかけっこで見事1位を獲得。4月生まれのアドバンテージもあるのだろうが、表情を変えずに小さくガッツポーズをするプーは我が子ながら格好良かった。走り方は変だったが(笑)。ちなみに春と秋に市の陸上大会に申し込んで100mのタイムを計ってもらったところ、タイムは20秒台後半。速いのか遅いのかよくわからないが、保育所・小学校・サッカーチーム・学童が同じのお友達は18秒台で走っている子がいるので、少なくとも抜群に速いというレベルではないようだ。リレーの選手にも選ばれなかったし。まぁ、私は小学校6年間で徒競争は3位が最高記録であり、その血を引いている以上、必要以上の期待はしていない。
放課後は学童保育に通っている。幸い小学校の敷地内にある学童に入れたので安心だ。ありがたいのは学童で「勉強の時間」を取ってくれること。おかげで家に帰ってくる頃には宿題も終わっている。外遊びの時間は概ねサッカー等に興じているようだ。
保育所と違って学童はけっこうイベントが多いようで、いろいろ楽しくやっているらしい。学童の先生からも「プー君はすごくしっかりしています」との評価をいただいている。
学校への行き道は最初のうちは同じマンションの子と何人かで固まって出かけていたが、最近はだんだん生活リズムがずれてきたようで、一人で行くことも多いようだ。入学後しばらくはマンションの入り口まで私も一緒に行っていたのだが、そろそろ独り立ちさせたほうがいいかと思って秋ごろから一人で行かせるようになったので、実際どれくらいの頻度で一人で行っているのかは不明。帰りはタイミングが合えば同じ学童の子と一緒に楽しく帰ってきているようだ。
小学校にしろ学童にしろ、とにかく毎日楽しくやっているようなので親としては本当に安心だ。これからもこの調子で行ってくれるといいのだが....。

悔しかろうなぁ

判らない問題が解けないのは諦めもつくだろうが、普段なら100回やって100回とも間違えないような問題を間違えたんだから、さぞや悔しかろうなぁ。
まぁしかし立派な成績だ。また次に頑張ろうじゃないか。

僕は風に向かって立つライオンでありたい

気がつけば半年以上放置していた。この間にプーが保育所を卒園し、小学校に入学し、ヤマハを辞め、サッカーを始め....といろいろあったのだが、どうもブログを書く時間が取れずに放置してしまった。プーの成長記録として最も重要な時期の一つが空欄になってしまったのは非常に悔やまれるところだ。
それはともかく33歳の誕生日にブログを始めてから早いものでまる7年。いよいよ自分も不惑と呼ばれる歳になった。おおざっぱに来し方を振り返ってみると、一桁年齢の頃は親の言われるとおりに過ごし、十代のころは友達と勉強のこと、二十代では自分のやりたいこと、三十代では家族のことを中心に生きてきたといえるだろう。
四十代はどんな生活が待っているのだろうか。古来「四十にして惑わず」などというが、到底そんな心境には至れない。まだまだ迷い探し続ける日々を送るに違いない。
そういえばいまから20年以上も前、紅白歌合戦で歌われていたとある歌に影響された若造は「自分が40までに家族を持てたら、家族を幸せにすることに全力を尽くす。40までに家族を持てなかったら、そこから勉強して医者になって無医村に行く」などという青臭い志を抱いていた頃があった。幸いなことに40になる前に最良の妻と子に恵まれ、医者になるという選択肢は今のところない*1。もう一つの目標に向けて頑張るのみだ。
四十代になったからといって人間がそう突然変わるわけではないが、あの頃の志を忘れずに、一桁の頃の素直さ、十代の純粋さ、二十代の情熱、三十代の分別を失わないように、四十代の日々を大切に過ごしていきたいものだ。
いずれにしても、この一年を、そしてこの十年を、平穏無事に過ごすことができたことに感謝をこめて。そして次の一年を、さらに十年を、皆が幸せに過ごせますように。

*1:しかし今思うとこの歳から勉強しなおして医者になるというのは実に大変なことだという気がする。しかも自分は血を見るのが苦手なので、医者という仕事が務まるとは到底思えない....。

よいお年を

今年もあと1時間弱を残す限りとなった。
ブログを見返してみると去年はこの手の記事を書いていないようだ。よほど何かに追われていたのだろうか?
とはいえ例年の抱負に照らしてみると、残念ながら今年は1年を振り返って「いい年だった」とは決して言えない年になってしまった。もちろん日本中のほとんどの人がそうだったんだろうけれども。
そんな中でも、家族3人は大きな怪我や病気をすることもなく、なんとか平穏かつ健康に年を過ごせたことには感謝したい。
来年はどんな年になるんだろうか。それが今つまびらかにわかるようなら苦労はしないのだが、少なくとも日本が、そして世界が、今年よりもよりよい年になると信じたい。
我が家もプーが小学校に入学し、そして私もおそらく配置転換があるだろう。妻も仕事においてどんどん新しい分野にチャレンジしている。我が家においてもいろいろな変化があるかもしれないが、それでも来年の今頃、一年を振り返って「今年はいい年だった」と思えるような年にしたい。毎年同じで恐縮だが、これを来年の抱負としよう。
それでは皆様よいお年をお迎えくださいませ。来年も、そのまた来年も、末永くよろしくお願いいたします。