駄目人間2011

例年のとおり今年も備忘録を。
11月中旬 年賀はがき購入
11月下旬 パソコンが故障し修理に出す
12月上旬 パソコンが帰ってくる
12月上旬 住所録メンテナンス完了
12月24日 宛名面印刷(まる一日がかり)
12月24日 裏面デザイン確定
12月25日 裏面印刷(まる一日がかり)
12月30日 昼過ぎ 4分の3くらい投函
12月30日 夕方 投函完了
....ということで取り掛かりは去年より早かったのに投函は遅くなってしまった。パソコンを修理に出していた間に作業ができなかったというのもあるが、12月中旬にサボってしまったのが痛かった。
そんなわけで元旦には届かないと思います。申し訳ありません。

目が、目がー

長らくメインで愛用していたノートパソコンがこの春頃から、ディスプレイの角度によっては液晶の表示が乱れるという症状を来たしていた。だましだまし使っていたものの先週いよいよどうにもならなくなり*1修理に出すことになった。
液晶又は内部ケーブルの故障だろうからデータが飛ぶ心配はあまりないだろうが、万一に備えて10GBにもならんとするプーの写真データだけはサブのノートパソコンに移すことに。だましだまし液晶画面の角度を調節してほんの一瞬入力を受け付けるようになった隙に写真のフォルダを共有フォルダに写し、無線LAN経由でサブのほうに5時間かけてコピーする*2。やはり日ごろからまめにバックアップは取っておかねばいかんなーと痛感。
そんなわけで修理に出したところやはり液晶の故障ということで、長期保証期間も切れていたのでけっこうな額がかかったものの本日無事期間。しかし液晶画面を取り替えたせいか画面が眩しすぎる。コントラストやら何やらを調整しているがやはり慣れない。なんとかならんものか....。

*1:画面は乱れっぱなしで、あげく入力さえ受け付けなくなった。

*2:といっても作業に取り掛かったのが夜だったので、2台のPCに夜っぴて働かせることにして自分はとっとと寝てしまったが....。

見上げる空に感激の チャンピオンフラッグひるがえる

ついにこのブログでこの記事を書く日が来た....。
中日は強かった。先週の今頃は半ば諦めにも似た心境だったが、一週間経った今日はこんなに嬉しい気持ちを味わうことが出来た。選手の皆さん、チーム関係者の皆さん、本当にありがとうございました! おめでとうございます!

六大学制覇

先日所用により立教大学に出かけた。いわゆる東京六大学のうち残りの5校は大学時代に何らかの用事で行ったことがあったのだが立教大学だけは縁がなかった*1。20年かけて東京六大学を制覇したことになる。わーい。
それにしても立教大学は綺麗な大学だなー。といっても他の大学の20年前の姿と比較するのはフェアじゃないのかもしれないが....。

*1:たぶんクイズ研究会がなかったからというのが最大の理由なんだろう。

故郷 友を育てた町 選ばぬことばで話せる町

十年を一昔というならば、私が高校を卒業したのはもうふた昔も前のことになる。
....ということで、先日の土曜日に高校卒業20周年記念の同窓会が行われた。開催の話自体は半年くらい前に「卒業20周年記念の学年全体の同窓会をやるから連絡先を幹事に伝えるように。あと連絡先を知っている人に伝えるように」というメールが回ってきたときに知ったのだが、その頃仕事のほうがかなりバタバタしていたのでついうっかりそのままにしていた。それからしばらくして、はるか昔に登録した*1この指とまれ」経由でメッセージが同趣旨のメッセージが届き、それ以降は幹事といろいろやりとりをしつつ、私が現在連絡先を把握している同窓生に周知して承諾をもらえた人の連絡先を幹事に伝えたり、出欠の返事を促したり....など少しだけ連絡役のような仕事をしていた。
そんなわけで同窓会の出欠も早々に「出席」の返事を出し、専用ホームページに掲載される「出席者名簿」の名前が増えていくのを日々楽しみにしていた。中でも嬉しかったのは出席者に高校3年時に同級だったS(男性)の名前を見つけたことだ。高校生男子はおおむね運動部系(いわゆる「イケていた」系)と文化部系(いわゆる「イケてなかった」系)という大きく2つのグループにわかれると思うのだが*2、Sは当時バリバリの運動部、私はバリバリの文化部だったもののなぜか不思議と馬が合い、文化祭では一緒に第三舞台の芝居などやったりしたものだった。しかしSが大学時代に実家ごと転居してしまい、当時は携帯やEメールがある時代でもなかったのですっかり音信不通になっていた。今回どうやって連絡が回ったのか知らないが、Sと久々に会えるのは非常に楽しみだった。
結局170人超(恩師含め)が集まるということになり、いよいよ当日。昼過ぎからプーのヤマハ教室の発表会があったのだが、プーの出番後に中座して新宿へ。すっかり汗だくになったシャツを会場入り直前で着替え、エスカレーターで会場に向かう。楽しみにしていたとはいえなんせ20年ぶりの同窓会とあって、はたして皆自分のことを覚えているだろうか? 話が合わなかったりしないだろうか? という一抹の不安もあった。
しかし、それは全くの杞憂だった。エスカレーターを降りて真っ先に出くわしたのは高校3年時の同級生N(男性)。「おー、ビヨンディ!」自然に当時のあだ名*3が飛び出した。「南助、久しぶり!」向こうも当時のあだ名で返してくる。そして会場に入ると懐かしい顔の洪水だった。もちろん20年もたてば見た目はそれなりに変わるし*4、そもそも最初から知らない人もいるのだが、不思議なもので、同じクラスや同じ部活といった高校時代に仲が良かった連中と話が弾むのはもちろんだが、多少面識があった程度の人や、一人か二人を介して接点があった程度の人とも話が盛り上がる。よく考えたら今回の幹事とだって高校時代は多少面識があった程度で決して親しかったというほどでもないはずなんだが*5、とてもそんな気がしないほどだった。当時文化部系だった連中とも話が弾んだが、運動部系だった連中ともけっこう盛り上がったようにも思う。自分は「高校の時イケてないクイズプレイヤー」の典型だと自認していたが、意外とそれほどでもなかったのかもしれない*6(笑)。少なくともいま高校時代にアゲインしてもたぶん似たような高校生活を送るんだろう*7。そんな気がした。
そして無事にSとの再開も果たした。Sは当時の引き締まった姿から想像もつかないほど太っていたが(笑)、中身は全く変わっていなかった。連絡先を交換し、今度こそクラス会の声をかけることを約束した。
立食形式の一次会から居酒屋での二次会を経て、三次会の途中で終電に間に合うように泣く泣く切り上げた。あっという間の6時間だった。話の中身こそ子供の話だったり仕事の話だったりではあるが、それでもみんなあの頃と変わらなかった。一次会では170人いたメンバーも三次会では50人まで減っていたが、聞いたところではその後四次会まで宴は続いたそうだ。
冷静に考えると、高校時代はそれなりに楽しいことも楽しくないこともあったはずなんだが、20年もすると「楽しくないこと」というのは風化していくのかもしれない。そして高校3年間同じ場所で同じ時間を過ごしたという連帯意識のようなものがあるのだろう。やはり自分の原点はこの高校時代にあるんだな、ということを改めて強く感じた。
だがもちろん、いまの自分は高校生ではない。いまの自分を取り巻くのは高校時代の仲間ではない。週明けの明日からはまた仕事が始まり、仕事と付き合っていかなければならない。だからせめてその前に、高校時代のテンションが残っているうちに、高校時代のテンションのまま書きなぐってみることにした。お見苦しい文章(特に高校関係者以外の方には)だと思うが、そんなわけでご勘弁のほどを。
最後に、そして楽しく懐かしい時間を設けてくれた幹事の皆さん、そしてその時間を共に過ごした皆さんには心から感謝したい。またいつの日かこのような時間を過ごせることを。

*1:登録していること自体忘れていた。

*2:もちろんそんなに明確ではないけれど

*3:水泳部だったので。

*4:中には高校生とは言わないまでも大学生で十分通りそうな若々しさを保っている人もいたが....。

*5:下手をすると今回の準備の件でやりとりしたメールのほうが、高校3年間で交わした会話よりもよほど多かったんじゃないかというくらいだ。

*6:女性関係以外は。

*7:女性関係以外は。