例の件

甲子園大会もいよいよ開幕。実は私はスポーツ大会の「開会式」が大好きで、アテネオリンピックのときも飽きずに延々と見ていたくらいだ。だから昨日は早起きして開会式をテレビ観戦。最近は「全チームの主将による大会旗掲揚」ってやらないのかな。あれ好きだったのになぁ。しかし、さすがに各地区の予選を勝ち上がってきただけあって地区大会の開会式のようなダラダラ感は微塵もなく、どこの学校も堂々としたもんだ。なかでも高知高校の入場のときの一段と大きな拍手は印象的だった。
さて今回の高知県代表をめぐるドタバタ劇について。もちろん明徳義塾が事実を隠蔽したことは問題だろうし、出場辞退というのも止むを得ないことだと思う。明徳義塾の体質とか馬渕監督の身の処し方などは、もういろいろな人が書いていると思うし、私もそんなに見識があるわけでもないので今回は書かないことにしておく。
問題(だと思う)のは、高知高校が繰り上がり出場、となったこと。誤解のないように書いておくが高知高校には何の落度もないし(むしろ気の毒だと思う)、全力で頑張って欲しいと思っている。
しかし、「出場辞退」→「準優勝校が繰り上がり出場」となる現行の規定は、いかがなものか? という気がする。
まず、一度負けて引退した3年生をはじめ、すでに甲子園の道が一度絶たれたチームが、直前に出場が決まったとしても、はたしてどれだけのことが出来るのか。
そして甲子園に行くのは選手だけの問題ではなく、応援団を送り込む学校やら関係団体やらにもかかわってくることだ。あるいは地元の旅行会社だって応援ツアーを組んだりもしているだろうし、甲子園のお土産屋さんだって大急ぎでペナントを作って売り出さないといけないだろうし....。新聞報道では今回の高知高校は赤字覚悟で応援団を送り込むそうだが、直前のドタバタでどれだけの人間が苦労したことか。
また、例えば今回で言えば、「地区予選で明徳義塾に負けた学校」っていうのは高知高校だけじゃないでしょ。今回はたまたま、高知と明徳義塾が決勝で延長戦の末に決着したということで、高知高校が繰り上がることは万人の納得するところだろうけど、例えば準決勝が延長12回サヨナラ、決勝は10−0でノーヒットノーラン、なんていう展開だったら、それでも決勝で負けたチームが繰り上がり出場っていうのは釈然としない人が多いんじゃないかな。
さらに言えば、あまり考えたくないことだが、こういう前例があると、決勝で負けた高校の関係者が代表校の足を引っ張るのに躍起になる、ということだってあり得るんじゃないだろうか。高校球児や直接の指導者がそんなことをするとは思えないが、甲子園に出場することによって莫大な利益を得る人たちだっているわけだから。言いたくはないけどいまどきの高校生の集団で、誰一人飲酒も喫煙もしない、暴力も振るったことが無いなんていうことはほとんどないでしょ。足を引っ張ろうとすればいくらでもできる気がする。
そういうもろもろのことを考えると、このような事態になった場合は、その地区は代表なし、とするのが妥当じゃないだろうか、と思うわけだ。
「3000いくつの参加チームの中で たったの一度も負けないチームはひとつだけ でもたぶん君は知ってる 敗れて消えたチームも 負けた回数はただの一度だけってことをね」さだまさしの「甲子園」という歌の一節だ。夏の甲子園って言うのはこの「一回負けたら終わり」という大原則があるからここまで人が(出る人も見る人も)熱くなるんだと思う。昔の敗者復活制度があった一時期を除いてはずっとそれでやってきたわけだし。
今回は例外中の例外とはいえ、一回負けたチームが甲子園に来ているわけだ。高知高校が甲子園でどこまで勝ち進むか、今の段階ではわからないけど、もし優勝しても「予選で一度負けている」という一点の曇りは消せないんじゃないだろうか。そしてもしどこかで敗れるとしたら、高知高校は「負けた回数はただの一度だけ」ではなくなるし、「夏が終わる」という悔しさ―特に3年生は「最後の夏が終わる」というあの言いようの無い悔しさ―を、もう一度経験させられることになる。それはある意味、本人達にも残酷なことなんじゃないだろうか。