さよならスキンブルシャンクス

男なら誰でも一度は通る道だと思うが、自分も子供の頃は鉄道大好き少年だった。何歳の頃だったか忘れたが、ケイブンシャだかコロタンだかの鉄道百科のような本を親に買ってもらい、何度も何度も繰り返し読み返したもんだ。
その本の特集記事でブルートレイン「富士」の個室寝台乗車ルポが掲載されており、子供心に強く憧れた。「いつかこれに乗って西鹿児島に行こう!」なんてことを思ったものの当時の自分にはそんなことができるわけもなく、ただ憧れることしかできなかった。
そして小学校に上がり、親のお古のカメラを貰って東京駅に写真を撮りに行ったりもしたっけ。「富士」「はやぶさ」「あさかぜ」「さくら」「みずほ」....。あのアルバムはどこに仕舞ってしまったんだろう。自分が成長するにつれて世界が少しずつ広がり、あれほど好きだった「鉄道」はその他の趣味に紛れていき、自分の中で占めるウェイトはそれほど大きいものではなくなっていった。
夜行列車に乗る機会には何度か恵まれたものの、東京から九州に向かうブルートレインにはついぞ乗ることはなかった。その気になればいつでも乗れるという思いと、そこまでの大枚をはたいて乗るほどでもないという思いとが重なり、徒に時が過ぎていった。
ある時、ふと何の気なしに本屋で鉄道の本を手に取ってみた。懐かしい思いとともに、忘れかけていた鉄道好きの心が少しずつ蘇ってきた。気がつけば「あさかぜ」も「みずほ」も姿を消しており、「富士」も西鹿児島はおろか南宮崎にすら届かなくなっていた。そして桜の季節にプーが生まれ、時をほぼ同じくして「さくら」も去っていった。それでも「富士」は「はやぶさ」と一緒に、九州ブルートレインの矜持と共に走り続けていた。
プーが大きくなったら、一緒に夜行列車で旅をしよう。そんな淡い夢を描いていたが、結局叶うことはなかった。もちろん今のプーでも頑張れば一緒に乗れただろうし、ちょっと家族と財布に我慢してもらえば自分ひとりで乗ることだってできたんだろうから、子供の頃からの憧れが果たせなかったのは自分の所為であり、決して世間とか他の誰かのせいにするつもりはない。ただ、仕事で東京に出張した帰りに東京駅の列車案内で「富士」という文字を見てしばし思いを馳せることももう無いのかと思うと、やはり寂しさを覚えずにいられない。
さよならスキンブルシャンクス。また会おう。きっと必ず会えるよね。