追悼

ウィルス騒動はちょっと休載して。
月曜日に帰宅後「Qさま!」を観た。南海キャンディーズの山ちゃんに仕掛けられたドッキリで「しずちゃんが半年間ハリウッドに行く」というのがあった。山ちゃんにしてみれば突然ピン芸人として生きることを求められたわけで苦悩する山ちゃんの姿が可笑しかったわけだが(とはいえこの番組で山ちゃんの株は非常にあがったと思う)、同時に2年前に突然ピンで活動することを強要された芸人がいたことを思い出していた。そう、カンニングの竹山。「中島は最初半年から1年で退院って話だったけど、なかなか出てこないね」などとそのときにも妻と話していたんだが....。
別に私はお笑いにそんなに造詣が深いわけでもないし、特にカンニングのファンだったわけでもない。それなのにこの訃報がとりわけショックに思えるのは、以前このブログにも書いたが、やはり内Pで家族と幸せに過ごしていた姿を見たからに違いない。2004年12月に「子供が生まれて3ヶ月」だったってことはいま2歳ちょっとだろう。プーと半年しか違わない。そして中島さんは享年35。自分と1歳しか違わない。
夢を見た話というのはあまり歓迎されないというが、先日こんな夢を見た。夢の中では自分がもう死んでいて、ただ誰か1人でも自分のことを「死んでいない」と信じていてくれる人がいる間だけはこの世に残ることができる、という設定。そして妻だけはかろうじて自分のことを「生きている」と信じてくれているので自分はこの世でプーの相手などをすることができていたが、それも時間の問題....という夢だった。もしかしたら何かのドラマか小説かに似たような話があるのかもしれないけど、あまりの恐怖に目が覚めてからもしばらくは血の気が引いているのが自分でもわかった。自分が死ぬことに対する恐怖ではなく、自分が家族の前からいなくなってしまうことに対する恐怖。プーの成長が見られなくなるという無念さ。残される妻に何の力にもなれないという無力さ。そんなさまざまな思いが夢から覚めたあともリアルに残っていた。
幸いにして私はそれは夢の中の話ですんだが、中島さんはこの恐怖が現実に襲ってきて、おそらく長い間恐怖と戦い、そして無念のまま亡くなられたんだと思う。心中を察すると本当にやりきれない。ご冥福をお祈りする、という言葉で片付けてしまっていいのかわからないけど、本当に無念だったんだと思う。
冒頭にも書いたが自分はお笑いには詳しくないので、中島さんの死がお笑い界にとってどれだけの損失なのかは正直わからない。でも間違いなく言えることは、中島さんの奥様とお子様にとっては換えがたい損失だということだ。世の中に「死んでも構わない人」なんていないとは思うが、「絶対に死んではいけない人」はいると思う。そして「幼子を持つ親」というのは絶対に死んではいけないはずだ。特に経済的支柱であればなおのことだ。自分の話ばかりで恐縮だが、独身のころは「自分が死んでも親と友達が嘆くだけだろうな」なんて思っていたが、結婚してからは「妻を残して死にたくないな」と思うようになり、親となってからは「妻と子供を残しては絶対死ねないな」と思うようになった。たぶん小さい子供をもつ親はみんな同じように考えていると思う。もちろん中島さんも、そう思っていたんだろう。
神様がいるのかどうか自分にはわからないが*1、もしいるとしたら、そんな「絶対に死んではいけない人」を、どうして最愛の家族から引き離して自分の元に召そうとするのだろう? 神様はそんなにも残酷な存在なんだろうか? せめてもの代償に、残されたご家族が不自由を感じることなく、豊かで充実した人生を送れるようお取りはかりいただきたいと心から思う。それは中島さんだけではなく、同じ思いをしているすべての方々に対して、伏してお願いしたい。それが亡き人に安らかにお眠りいただく唯一の手立てだと思うので....。

*1:うちは神主の家柄なのでこう考えること自体が罰当たりなのかもしれないけど。