カブトムシ

8月16日(日)
朝起きて見てみたがやはり餌がほとんど減っていない。しかし動いてはいる。午前中は家族で出かけたのだが、帰ってきたときも相変わらずだった。
とりあえず元気なのだから近所のショッピングセンターで買い物のついでに大き目の虫かごでも買ってやるべぇ、と出掛けにのぞいたらなんと餌ゼリーの上でひっくり返って動かなくなっている。ついに寿命が来たか....と半ば観念して手でつまんでみたら動き出した。ひっくり返って戻れなくなっただけだったか。よかったよかった。
しかし、さすがにもうそろそろ狭いカゴで買うのも限界か、と思ったところに妻から「最後は放してやったら?」という提案。狭い虫かごの中で一生を終えるよりは、余生は広いところで過ごさせてやったらという話だ。確かにそれも一理あるか....。プーとも話したところ了解が得られたので、泣く泣く近所の公園に放してやることにした。
ところが公園に行ったが意外と気がまばら。別の公園に行ってみたが、ここも木はそれなりにあるもののあまりカブトムシの生息に向いていなさそうだ。プーと2人で「今までありがとう、茶太郎の分まで長生きしてね」と声をかけ、餌台と餌ゼリーを置いて立ち去りそのまま買い物に行く。
しかし買い物の最中も気が晴れない。もっとカブトムシの成育にふさわしいクヌギ林とかで放してやったのならまだ心も晴れたのだろうが、あの場所では元気に生きられるとは到底思えない。だとしたら結局は「生き物を飼う」ということに対して責任を放棄したのではないか? 狭いカゴの中で餌を与えられて細々と生きていく(長生きはできないだろうが)のと、外で死と隣り合わせの自由の身でいるのとでは、はたしてどちらがカブトムシにとって幸せなのか....。
買い物の最中ずっと悩み続け、帰宅後にようやく決心して再度迎えに行くことにした。先ほど放した公園に行ってみると餌台と餌ゼリーは小さい蟻やらなにやらに占拠されていたが、幸いほんの50センチほど離れた地面で大人しくしていた。捕まえてやるとまだそれなりに動いている。よかったよかった....。
ということで帰宅後に新しい土に入れ替え、餌ゼリーとバナナを一切れ入れてやる。しばらくして見に行くとわずかながら食べた形跡がある。つかの間の自由を得て気分転換(?)したのがよかったのだろうか? なんとか一安心だ。