人として、組織の一員として、そして

地震から半月が経った。
幸いにして我が家は全員怪我もなく無事、双方の実家も無事、親戚も被災したという話は伝わってこない*1。そして自分は職住近接で徒歩通勤のため、帰宅困難にもならず間引き運転とも無縁で普通に通勤できている。物資不足で多少の不便はあったが、もともと我が家は日ごろから米などは少し買い置きしていたので*2、それほど本格的に困ることはなくとりあえず日々を過ごしている。
にもかかわらず、どうも気が滅入る日々を送っていた。もちろん被災された方々のことを思って沈鬱になるということもあったし、原発どうなっちまうんだろうなどという将来に対する漠然とした不安もあった。しかしそれらのことに劣らず気が晴れないのは「自分は何をやっているんだろうか」という苛立ちのためだったんだろう。
テレビや新聞で被災地のことを報じられるのを見聞きして、一人の人間としては、現地に飛んでいって少しでも何かできることをしたい、という気持ちで一杯だった。実際に何人かの知人は現地に向かい、持ち前のスキルや知識を揮って支援や復興に向けて尽力している。自分には何のスキルも知識もないけれど、もっこ担いだり物を配ったりするくらいのことならできるかもしれない。
....しかし残念ながら、自分は組織の一員として、会社から与えられた仕事をしてお金をいただいている身分だ。そして自分が所属している最小単位の組織では、いま期限が決まっている仕事を抱えて全員で頑張っている。期限といっても規則で決まっているだけなので、本当はそんな期限に間に合わなくても誰かの命にかかわるとかそんな性質のものではない。言ってみれば「不要」とはいわないまでも「不急」の部類に入る仕事のはずだ。とはいえ規則で決められた期限を守るためには急いでやらないといけないし、実際組織の一員としてその仕事に全力投球する日々だったのだが、はたして日本全体が緊急事態に対応するために一丸となっている中で、こんなことをしていていいのだろうか?という、やり場のない苛立ちを抱えながら日々事に当たっていた。
ある晩そのような愚痴を妻に話したところ、妻からは「もしあなたがその『震災と関係のない仕事』のために被災地に向かわないのだとしたら、私はその『震災と関係のない仕事』の存在に感謝したい」という趣旨の返事があった。
恥ずかしながらこのときに初めて気がついた。人として何をすべきなのか、組織の一員として何をすべきなのかを考える前に、自分は一家の柱として、妻と子供のために何をすべきなのかを考える必要があるのではないか。そして、少なくとも自分が長い間家を空けることは、いま妻と子供のためになるとは思えないではないか。
....それに気がついてからは、だいぶ苛立ちも治まってきた。冷静に考えれば、私ごときが徒手空拳で被災地に行ったところで足手まといになるのがオチだろうし(任務を与えられて組織から派遣されるのであれば別だが)、今は今の自分にできることをやるしかない。そして今の自分にできること、かつなすべきことは、「自分の所属している組織がするべきことを、通常どおりにこなす」ということ、そして「妻と子供を守る」ということだ。
自分は事務屋だ。原発を止める知識もなければ、怪我人や病人を救う技術も持ち合わせていない。瓦礫を撤去する訓練も積んでいない。でも、このような災害が起こって真っ先に必要とされるのは現場のプロフェッショナルだとしても、いつか復興に向けて、事務屋の力が必要とされる時期が間違いなくやってくるはずだ。そのときこそ我々の出番だ。そう信じて、今は目の前の仕事と家庭に全力で臨むことにしよう。

*1:うちは分家の分家のそのまたくらいに当たるんだが、大元の本家は八戸らしいので、もしかしたら本家筋では被災された方がいたのかもしれない。しかしそもそも八戸の本家筋とはもはや全く縁が無いので、知る由もない。

*2:インフルが流行して外出が困難になったときなどに備えて。